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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和42年(ワ)153号 判決

主文

被告佐宗貴は原告ら各自に対し、各金三百七十六万六千五百五十一円及びこれに対する昭和四十一年十一月二十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの被告国に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らに生じた費用は原告と被告佐宗貴との間においてはその二分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告国との間においては全部原告らの負担とする。

この判決は被告佐宗貴に対し、仮りに執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは連帯して原告ら各自に対し各金三百七十六万六千五百五十一円及びこれに対する昭和四十一年十一月二十三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告らは昭和十九年三月五日婚姻した夫婦であるが、その間には昭和二十一年十一月七日生れの長女訴外伊藤馨子、昭和二十七年六月二十三日生れの二男訴外伊藤克の外に、昭和二十四年三月五日生の長男訴外伊藤憲男の三名の子があつた。

二、訴外伊藤憲男は昭和四十一年九月二十日頃横浜家庭裁判所横須賀支部において、少年法第二十四条第一項第三号に基づき中等少年院送致の保護処分決定を受け、同月二十四日相模原市小山七百八十九番地所在の神奈川少年院に入院した。入院後訴外伊藤憲男は、右少年院における矯正教育の効果により、その犯した非行を深く反省し、一日も早く退院又は仮退院して社会人として更生すべく、自からも努力していたものである。従つて、そのまま推移すれば昭和四十二年末頃には仮退院することが見込まれていたものであり、最悪の事態が発生しても昭和四十四年三月五日には退院し得たものである。

三、ところが、昭和四十一年十一月二十三日午前八時五十分頃訴外伊藤憲男は、前記神奈川少年院第三棟第四号室内において、当時同じく同少年院に保護処分により入院していた被告佐宗貴から腹部を足蹴にされ、その結果その頃同所において死亡した。

四、ところで、少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された者を収容し、これに矯正教育を授ける施設であり、国立であつて法務大臣がこれを管理するものである。そして、院生は退院、仮退院等の事由により帰住を許された場合以外は院外に出るときは強制的に連戻されるのであつて、換言すれば、身体行動の自由を著しく制限された状態にある。従つて、少年院としては、院生に対し一日も早く社会生活に適応し得る者となるよう規律ある生活のもとに教科並らびに職業の補導、適当な訓練等の矯正教育を行なうだけでなく、院生間の私刑等が行なわれないよう充分監督指導すべきものである。

五、右の次第であるから、訴外伊藤憲男の死亡は直接には被告佐宗貴の不法な暴行によるものであるが、右事故は当時、前記事故発生場所に、寮舎勤務者として勤務し、同寮舎内院生の指導に当つていた訴外法務教官中村洋、同堀口清司の両名が私刑等が行なわれないよう院生を監督指導すべき義務を怠つた監督不行届に起因して発生したものである。即ち、少年院においては院生間にしばしば私刑が行なわれ、教官はこれを見て見ぬふりをしているとの風評はとも角

(1)  院生は十五、六才から二十才位までの男子であつて、特に非行性がなくとも、ややもすると粗暴な行為に走る一般的傾向があること。

(2)  右年代の男子が、男子だけ相当数の集団をなして生活しており、一度統制が解かれ又はゆるめられると群衆心理的な面からも相当危険な方向に走る傾向が強いこと。

(3)  特に院生は概ね粗暴かつ無責任な行動に出やすい者が多いことは少年院教官として充分に知つているところである。従つて、前記両教官としては院生に対する自分達の直接の監督指導という統制を解き、又はその力をゆるめるときは、院生間に私刑等の事故が発生し、場合によつては死亡、傷害等の被害が発生することを充分に予測していたか又は少くとも予測し得たはずであり、かつ、監督指導によりこれを防止すべき義務がある。そして、前記のとおり、少年院内の一部の施設内に止まることを強制され(本件事故の場合には、前記第三棟から外に出ることはできない状態にあつた。)ている者としては、その内部における私刑をのがれることは院生を監督指導する教官の力に依存するよりほかはないのである。

なお、本件事故発生について、堀口教官は管区長の戒告、中村教官は院長訓告の各処分を受けていることからも、右両教官に義務違反があつたことは明らかである。

以上の次第で、被告らは訴外伊藤憲男及び原告らが蒙むつた損害を連帯して賠償する義務がある。

六、ところで、訴外伊藤憲男は、少年院送致前配管工として働き、日給少なくとも金千五百円、一ケ月の稼働日数少くても二十日間であつて毎月少なくとも金三万円の収入を得ていた。右訴外人は前記のとおり、遅くとも昭和四十四年三月五日には少年院を退院し得たものであるから、少なくともその頃から六十才位までの四十年間は配管工として働き、その間少なくとも一ケ月金三万円の収入を得たはずである。そして、昭和四十年四月における人事院の調査によると独身男子の東京における標準生計費は一ケ月金一万五千五百九十円であるから、右訴外人は少なくとも前記四十年間、一ケ月につき前記金三万円から右金一万五千五百九十円を差引いた金一万四千四百十円宛の得べかりし利益を喪失したものでありこれを一度に請求するものとしてホフマン式により計算して中間利息を差引くと金三百五十三万三千百一円となる。更に、同訴外人は死亡当時満十七才八ケ月の前途春秋に富む少年であつて、非行少年として保護処分を受けたものの、前記少年院入院後は深く前非を悔い、一日も早く更生しようと努めていたものであつて、前記不法な暴力によつて生命を絶たれることによつて同訴外人が蒙むつた精神的損害は金二百万円の賠償を得て、はじめて償い得るものである。

七、原告らとしては、若気の過ちから非行を犯し、保護処分を受けたとはいえ、訴外伊藤憲男はかけがえのない長男であり、しかも前記少年院の矯正教育の効果が挙り、日一日と更正の道を歩みはじめた矢先であつたので原告らとしては老後の生活の支えとして大きな希望を同訴外人に託していたのである。従つて、不慮の不法行為により愛する長男を失つた原告らの精神的損害は各金百万円の慰藉料の支払を受けてようやくいやされるものである。

八、原告らは、前記訴外伊藤憲男の被告らに対する合計金五百五十三万三千百一円の損害賠償請求権を、昭和四十二年十一月二十三日各二分の一宛相続により取得した。

九、よつて、原告らは各自被告らに対し連帯して前記各慰藉料並びに相続により取得した各損害賠償請求権の合計金三百七十六万六千五百五十一円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和四十一年十一月二十三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

被告国指定代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、答弁として次のとおり述べた。

原告ら主張の請求原因一の事実は不知、同二の事実中、訴外伊藤憲男が昭和四十一年九月二十日横浜家庭裁判所横須賀支部において、中等少年院送致の保護処分決定を受け、同月二十四日神奈川少年院に入院したことは認めるが、同訴外人が少年院における矯正教育の効果により、その犯した非行を深く反省し、一日も早く退院又は仮退院して社会人として更生すべく、自からも努力していたことは不知、その余の事実は争う、同三の事実中、昭和四十一年十一月二十三日原告ら主張の場所において訴外伊藤憲男が被告佐宗貴から腹部を足蹴りにされた後死亡したことは認めるが右足蹴りされた時間が午前八時五十分頃であることは否認する。又右足蹴り自体は死因となるに足りぬものであつて、直接死因は特異体質によるショック死である。同四の事実中、少年院が家庭裁判所から送致された者を収容し、これに矯正教育を行なう国立(法務大臣管理にかかる)の施設であること及びそこにおいては院生間の私刑等が行なわれないように監督指導すべき義務があることは認めるがその余の事実は争う。同五の事実中、本件事故発生当時訴外法務教官堀口清司、同中村洋が神奈川少年院第三棟の寮舎勤務者として勤務していたことは認めるが、本件死亡事故が右両訴外人の監督不行届に起因するものであることは否認する。同六の事実中、訴外伊藤憲男が少年院送致前に配管工として働き日給金千五百円以上、従つて月収金三万円以上を得ていたことは不知、その余の事実は争う。同七の事実中、原告らが長男の訴外伊藤憲男に老後の希望を託していたことは不知、その余の事実は争う。同八、九の各事実は争う。

被告佐宗貴は昭和三十八年三月中学卒業後、工員、店員等を転々し、昭和四十年二月頃から八王子市小門町三十五番地博徒国粋会の日光一家の親分西山健二の経営する西山塗装店に住込み店員として勤務したが、この間中学在学当時から度々非行を働き、昭和四十一年五月三十日東京家庭裁判所八王子支部において、傷害器物毀棄保護事件により中等少年院送致決定を受け、同月三十一日から神奈川少年院に収容され、同年六月十六日から同院第三学寮一班四室に所属し、同年九月一日に二級の下から二級の上になつていた。

訴外伊藤憲男は前記のとおり横浜家庭裁判所横須賀支部において、恐喝保護事件について中等少年院送致決定をうけ、同年九月二十四日神奈川少年院に収容され、二級の下となり、被告佐宗貴の隣室の第三学寮一班三室に属していた。同訴外人も入院前は横須賀市内のヤクザ集団錦政会汐入支部に入会しており、ヤクザ気質濃厚で、左胸部には経約二十糎の文身があつた。

昭和四十一年十一月二十三日午前八時三十分頃から前記神奈川少年院においては当日の勤務者である前記堀口(主任)、中村(補助)両教官が前日の勤務者である白井(主任)、佐藤(補助)両教官から事務の引継を受けた。右引継に当つては先ず右堀口、白井両主任教官による点呼が行なわれた。点呼は第三学寮(同寮には少年の居室は十室あり、一ないし四室を第一班、五ないし七室を第二班、八ないし十室を第三班に分けている。この他同寮には寮監室、集会室、浴室、洗面所、便所等がある。別紙図面参照。)の全員を各班毎に居室前の廊下に一列に整列させ第一班から順次にこれを行なつた。右中村、佐藤両補助教官は寮監室の前に立ち右点呼の状況を見守つた。しかるところ、第一班の点呼の際二十三番の訴外伊藤憲男が番号を二十二番と間違えて早速「済みません」と言つたが、周囲の少年から「しつかりしろよ」と言う声が出た。そこで右白井教官が「間違つたことについて文句を言うな」という趣旨の注意を与え、あらためて番号をかけ直し、第二、第三班と進み、午前八時三十五分頃点呼を終つた。そこで院生達はそれぞれの居室に入つたが、当日の日程はその後午前九時十五分まで洗面所使用時間となつていたので第一班から順次洗面所の使用を行なつた。ところで、点呼後佐藤教官は直ちに退庁し、白井教官はその場から堀口教官と寮監室に入り、そこで更に約四、五分事務引継の打合せを行なつた後退庁し、堀口教官は寮監室に止まり院生に対する洗面所使用の指揮等の事務を行なつていた。他方中村教官は点呼終了後寮監室に入らず直ちに寮内の巡廻を行つた。巡廻は続けて行なわれ、第一回目は第二班、第三班、第一班の順に行なわれた。同教官は廊下から各居室の内部を観察しながら巡廻したがこのとき各室に何らの異常を発見せずその巡廻時間は約三、四分で終つた。そこで更に引き続き第一回目と同じ順序で第二回目の巡廻を行ない第一班の四室の前に来たところ室内の様子が不審に思われたので室内に入つた。そこで訴外伊藤憲男が居室の壁にもたれぐつたりしているのを発見し、急ぎ他の教官を呼び集めたが、この時刻は同日午前八時四十三分頃であつた。右訴外人は直ちに救急車により相模更生病院に連れて行かれ治療を受けたが、不幸にして同日午前九時十五分死亡したものである。

しかして、右の事故は次のようにして起つたものである。

即ち、訴外伊藤憲男は点呼の際番号を間違えたことについて、点呼終了直後一班の一室から四室まで、番号を間違えて済まなかつたと謝つて歩いたのである。一室から三室までは何事もなかつたが、四室の扉を開いて「番号を間違えて済みません」と言うと同室の被告佐宗貴から「暴力を受けられるか」と問いかけられたが、これに対し、同訴外人は持前のヤクザ気質から敢て「暴力を受けさせて頂きます」と答えたため、同被告は右訴外人を中に入れ、同室の訴外黒河誠を見張りに立たせた。そして、右訴外人を同室中央附近の床板上に両膝をつかせて中腰に座らせ、両手を後ろに廻させて正座ボデーを受ける構えをとらせて、同訴外人のみぞおち辺りを向けて二回蹴飛ばした。すると右訴外人は片手で腹部を押えて苦しそうにしたので同被告は「受けられないならもう帰えつちやえ」と言つたところ、右訴外人はなおも我慢して「もつと受けさせて頂きます」と答えたので、同被告は続いて右訴外人の腹部を今一度蹴飛ばしたものである。以上のとおり、本件事故の発生は訴外伊藤憲男が寮監室で事務引継中の堀口教官及び巡廻中の中村教官の隙をうかがつて、わざわざ他室に赴き、一旦教官の注意で収つていることを自ら好んでむし返し、敢えて進んで被告佐宗貴の私的制裁を受けた結果の出来事である。このように当事者らが互に意を通じて教官の隙をうかがい、その当事者間で暴行し、暴行を受けるような場合には教官が如何に慎重綿密な勤務をしても事故の未然防止が到底不可能であつて、本件事故の発生については右両教官の勤務上の手落ちないし収容少年を監督指導することについての義務違反等は認められず、全く不可抗力という外はない。従つて、原告らの被告国に対する請求は失当である。

被告佐宗貴は適式の呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

証拠(省略)

理由

訴外伊藤憲男が昭和四十一年九月二十日横浜家庭裁判所横須賀支部において、中等少年院送致の保護処分決定を受け、同月二十四日神奈川少年院に入院したこと、右訴外人が同年十一月二十三日右少年院第三棟第四号室において、被告佐宗貴から腹部を足蹴りされた後死亡したこと、少年院が家庭裁判所から送致された者を収容してその矯正教育を行う国立の施設であり、そこにおいては院生間の私刑等が行なわれないように監督指導すべき義務があること、本件事故当日訴外法務教官堀口清司、同中村洋が右少年院第三棟の寮舎勤務者として勤務していたことは原告らと被告国との間に争いがない。

原告らは本件事故は、前記堀口清司、同中村洋の両教官が前記私刑等が行なわれないよう監督指導する義務を怠つたため発生したものであると主張するけれども、本件事故は後記認定の事情のもとに発生したものであり、右事情のもとでは右両教官に勤務上の手落ないしは院生を監督指導することについての義務違反があつたものとは認められない。尤も、成立に争いのない乙第十三号証、証人中村洋、同野間隆三の各証言によれば右両教官は本件事故により院長訓告を受けていることが認められる(証人堀口清司の証言中右認定に反する部分は措信できない。)けれども、これをもつて直ちに、右両教官に義務違反があつたものということもできない。従つて原告らの被告国に対する請求はその余の点につき判断をするまでもなく理由がない。

成立に争いのない甲第四ないし第十号証、同第十二号証、乙第一ないし第七号証、証人堀口清司、同中村洋、同池田正、同野間隆三の各証言及び検証の結果を総合すれば、本件事故が発生した第三学寮の各室の配置は別紙図面のとおりであり、各室には教育上の見地から施錠してなかつたが、他室に行くことは禁止されていたこと、なお、一ないし四室を第一班、五ないし七室を第二班、八ないし十室を第三班と分けていたこと、神奈川少年院においては従来から院生間の暴力事件が多く、昭和四十年九月頃から右暴力の撲滅に乗り出し、暴力を厳禁し、暴力を振つた院生に対しては懲罰を課する等その他種々の施策を講じ、暴力撲滅は極めて困難ではあつたが着々とその成果を挙げつつあつたこと、ところで、本件事故が発生した昭和四十一年十一月二十三日午前八時三十分頃から神奈川少年院においては当日の勤務者である訴外法務教官堀口清司(主任)、同中村洋(補助)の両教官が前日の勤務者である訴外法務教官白井雄策(主任)、同佐藤司(補助)の両教官から事務の引継を受けたが、右引継に当つて先ず右四名の教官の立会のもとに院生の点呼が行なわれたこと、右点呼は第三学寮の院生全員が各班毎に居室前の廊下に一列に整列し、一班から順次に行なわれたこと、その際第一班三室に在室していた訴外伊藤憲男が番号を間違えたため、周囲の院生から「しつかりしろよ」等の発言がなされたこと、そこで右白井教官は「間違つたことについて文句を言うな」と注意を与え、あらためて番号をかけ直し、間もなく点呼が終り、院生らはそれぞれの居室に入つたこと、当日の日程はその後洗面所使用時間となつていたので第一班から順次洗面所の使用がなされ、かつ当日の日直勤務であつた訴外飯塚勇教官から集会室(娯楽室)において敷布の支給がなされたこと、しかして右点呼終了後佐藤教官は直ちに退庁し、白井教官はその場から堀口教官とともに寮監室に入り、そこで更に事務引継を行つた後退庁し、中村教官は寮監室に入らず点呼終了後直ちに寮内の巡廻を始め第一回目は第二班、第三班、第一班の順に約三、四分で巡回を終つたが各室に何らの異常を認めなかつたこと、更に引続き第一回目と同じ順序で第二回目の巡廻を行ない第一班四室の前に来たところ室内の様子が不審に思われたので室内に入つたところ、訴外伊藤憲男が居室の壁にもたれぐつたりしているのを発見し、その原因を尋ねたところ、被告佐宗貴が正座ボデーをやつた旨自供したこと、そこで中村教官は急ぎ他の教官を呼び集めたがその時刻は同日午前八時四十一、二分頃であつたこと、そして右訴外人は直ちに救急車により相模原更生病院に連れて行かれ治療を受けたが死亡したこと、ところで訴外伊藤憲男は点呼終了後事務引継中の堀口教官及び巡廻中の中村教官の隙をうかがい前記番号を間違えたことについて一室から謝つて歩き、一室から三室までは何事もなかつたが、四室の扉を開いて「番号を間違えて済みません」と謝ると同室の被告佐宗貴から「暴力を受けられるか」と問いかけられこれに対し「暴力を受けさせて頂きます。」と答えたので、被告佐宗貴は右訴外人を同室内に入れ、同室内の訴外黒河誠を見張りに立たせて、訴外伊藤憲男を同室中央附近の床板上に両膝をつかせて中腰に座らせ、両手を後ろに廻させて正座ボデーを受ける構えをとらせて、同訴外人のみぞおち辺りを二回蹴飛ばしたこと、すると右訴外人は片手で腹部を押えて苦しそうにしたので被告佐宗貴は「受けられないならもう帰えつちやえ」と言つたところ、右訴外人はなおも我慢して「もつと受けさせて頂きます」と答えたので、被告佐宗貴は続いて右訴外人の腹部を今一度蹴飛ばしたものであることが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

次に、被告佐宗貴は原告ら主張の事実を明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべく、右事実による原告らの本訴請求は理由がある。

よつて、原告らの被告国に対する請求は失当としてこれを棄却し、被告佐宗貴に対する請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(別紙)

〈省略〉

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